生存日報

日々食べたもの、家事、お酒・・・アイコンは今年のおせちです

ラムフェスタ福岡2018に行ってきました&お酒に対する所感

2回ラムフェスタ福岡が開催されると聞き及んで福岡まで行ってきた。

 

ラムフェスタとは福岡のラムバー(Rummyさん、Unknowncafeさん)他とラム協会の協力者などが主催して開いたラムと音楽を楽しめるお祭りだ。

昨年から福岡でも行われており、今年は昼から開催された。

 

ライブ系がメインだった昨年と違い、今年は協賛メーカーも多く、様々なラムを試飲出来た。

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それに加え、ラテンミュージックのライブや、ダンス、マジック、200Lの巨大モヒートづくりなどイベントも多く用意されており来場者は300人程度はいたのではないだろうか(チケットは200枚以上売れたらしい)。

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集まっている人は福岡のラムバーに通う人か、飲食店経営者がほとんどのように見えた。もともとラムに対する関心が高い人達なので色々と情報が得られて楽しそうに見えた。同じ福岡で開かれるウイスキーのイベント、ウイスキートークに来る人達の一部のようにウンチクを語りたがる人はいないのでメーカーの人も楽しそうではあった・・・。

 

昨年までで消滅してしまったテキーラフェスタよりはまだまだ伸びていきそうなイベントであり、個人的にも応援していきたいと思う。カシャッサ協会の会長さんとのお話もあるし。

 

ここからは完全に個人的な意見なのだが。

近年の日本市場では酒に対する(酒に限らないかもしれないが)需要が細分化しているように思う。

 

もともと3割の人間が酒自体を体質的に飲めず、それに加えて飲むこと自体に興味が無い人が多かったこの日本。それでもかつては娯楽の選択肢が少なく、酒を飲めて一人前という風潮がまかり通っていた。昨今はそういう考えは古い、酒の強要はしてはならず飲みニケーションなど全盛期の遺物・・・といった流れに変わってきている。

 

元来、飲めない人間が諸外国に比べて多いこの国では、冷静に考えてこの流れにこそがあるべき姿なのだと思う。酒は有用なコミュニケーションツールではあるが、飲むこと自体は個人の自由であるべきなのだ。

 

そもそも、こんなに飲めない人間が多い国でバブル時代にあれほどのウイスキーが売れ、ビール会社が世の中を席巻できた事自体奇跡なのではないだろうか。ボトルキープ制度のような日本独自の文化と、少なからず見栄を大事にする日本人の気質もそれを助長したのだろうがそれを考えてもこれまでの日本における酒類市場は異常であったのではないか。

 

あるべき姿になりつつある日本の酒類市場だが、先に書いたように今後はより需要が多様化していくのだろう。飲めない人間は見向きもしなくなるし、飲めてかつ酒の関心のある人間はどんどん探求をしていくだろう。インターネットの普及で、いわゆるマニアと呼ばれる者たちは簡単に情報を発信でき、それをまた興味関心のある層が受け取り、日本の酒類文化は「誰かが飲んでるから飲んでる」といったレベルから「飲みたいから飲む、自分の飲むものをしっかり理解して飲む」というレベルに上がっていくだろう。

 

一介の酒好きとして、日本全体の酒に対する知識レベルが向上するのはとても嬉しい。

ただ、近頃感じるのが上記のイベントやインターネットで情報を発信している内容などが酒に興味がなくても飲める層を取り込めるものでは無いのでは?ということだ。

 

自分自身は何もしていないので言う権利は無いのかもしれないが、どうにも今の形は本当の初心者が入り込むには難しいような気がする。かつて誰でも楽しめていたゲームセンターの格闘ゲームが今では初心者が入り込むことすら出来ない、近づきがたい物になってしまったような流れと同じように思える。

 

酒に対する知識が深まり、日本全体の文化レベルを上げるのも大事だが本当の初心者がいつでも入り込めるような幅広くわかりやすい受け皿も必要なのだ。自身がついついマニアックになりがちでもあるので、自省の意味と今後何かしら日本の酒類文化の発展に助力出来れば、と思いこの文章を書いた。

 

とかなんとか難しいこと書いてるから余計だめなんだろうなぁ・・・。